近代測量を行う機関「民部官 庶務司戸籍地図掛(みんぶかん しょむつかさこせきちずかかり)」が、明治政府によって設置された1869年(明治2年)から、今年で満150年とのことです。
こんにちは。(株)環境デザイン代表取締役、片山です。
さて、早速にして漢字が多いのはご愛敬ですが、「近代測量」とは何か。国家統治に必要な最も基本的な情報として、”国土の姿"を把握するために設けた枠組みを言うそうです。維新の始まり、明治新政府の樹立が1868年1月。それ以前にも豊臣秀吉の太閤検地や、伊能忠敬の日本地図など礎となる事業があったことを考えると、測量とはなかなかに歴史のある技術であることが改めてわかります。
その近代150年の中でも、ここ数十年の測量機器・技術の発達は群を抜いているように感じます。今や「測量技術者」そのものの概念が変化しつつある。昔は半ば冗談で言っていた「測量機器士※」の時代がすでに形となりつつあるからです。
この構図を「知識や技術を機器が補っている」と解釈することもできますが、即ちその分野では人の知識や技術の価値が下がるんだということを客観的に理解しなければいけません。たとえ長年研鑽し、築き上げ、知りえたものでも、機械ができることなら、機械のほうが絶対に「得意で上手」になるのです。
突き詰めれば人間が不要になる可能性があり、実際にその時代が来ているという危機感を、どれだけの技術者が持っているのかなとふと考えたりします。
そもそも、その絶対数の減少が、i-Constructionなど一連の流れの起因となっているという矛盾もありますが。
一方で、時代に沿ってアップデートしていくことは、150年前も今も等しく、特に技術者にとっては使命であるとも思います。それでもこの流れの速度やベクトルは、自らの座標を見失ってはいないか。本当に着地点は見えているのだろうかと不安も感じます。
とりあえず淘汰が目的だとしたら、大正解でしょう。これは一つ、目を逸らしてはいけない事実です。
私個人の性格もありますが、どうしてもそれらを「見極めたく」なります。どのみち見極めなければならない立場なのですが、ただこの速度の中、そんな余裕が果たしてあるのかどうか。
150年という節目に、素晴らしい課題を頂いていると感じます。「測量の歩みを知り、未来へつなぐ。」つなぐものを見誤ることのないように。
国土地理院では、「近代測量150年記念事業推進会議」を発足させており、様々なイベントを全国で開催しています。(すでに終了したイベントもあります)
子供も参加できる体験型イベントもあるようです。ご興味のある方は以下リンクよりイベントカレンダーなどをご確認ください。
※測量機器士…測量の技術や知識が半人前でも、測量機器が使えればある程度の測量は可能である。駆け出しのころは「技術者」というよりこの「機器オペレーター」としての側面が強くなるため、それを揶揄した造語。とは言えそのうち本当に資格化されるのではないでしょうか。